朝里駅から徒歩12~15分のところに鎮座する太平山神社へ2019年10月の後半に参拝へ行ってきました。
朝里駅からずっと海を見ながら線路沿いを歩いていくコースはゆっくりと海を見ながら歩きたい時におすすめです。
朝里駅から太平山神社まで
海が見える駅「朝里駅」の駅舎から出て西側(進行方向右側に海が見える方向)に歩いていきます。
駅前は民家等がありますが1分ほど歩くともう海が見えてきます。
途中、踏切を渡り、踏切を渡ったらそのまま線路沿いをずっと歩いていきます。
線路と道路の間が非常に狭いので、すぐ横を電車が走り抜けていきます。
でも海のすぐ横を走っている路線なので、電車が通らなければずっと小樽の海を見ながら歩いていくことができるのがいいところ。
朝里川という川にかかる上記写真の橋までたどり着いたら後ろを見てください。
後ろにある建物が太平山神社です。
朝里駅から太平山神社まで約1kmの道のりですが、時折通る電車を見たり海を見ながら歩けば、それほど距離は感じません。
太平山神社の様子
プレハブ小屋くらいの大きさのお社とその横に地蔵蔵があります。
恐らくこのお地蔵様のどれかがお小夜地蔵と清吉地蔵だと思われます。
お社の上部には「太平山」と記されています。
御賽銭投入口が扉についていますが、鍵はかかっていません。
まさか開かないよね?と思いながら戸を開いてみると開きました。
戸を開けて中を見させていただくと説明文に書いてあった「太平山」と記された碑が置かれています。
他にも3つの碑がそれぞれ置かれています。
正面を見ると大きな下駄が飾られています。
横には一回り小さな下駄も
下駄と下駄の中央に「太平山三吉神社総本宮御守護 朝里太平山 殿」と書かれた御札が設置されていました。
御分霊を受けたのかまではわかりませんが三吉信仰の神社であることはわかります。
壁には「平成二十年度 太平山三吉神社 地蔵尊供養祭」と記された看板が置かれていました。
この神社は一般的には「太平山神社」と呼ばれていますが氏子の方々は「太平山三吉神社」と呼んでいるのかもしれませんね。
その横に由緒らしきものが書かれた額が置かれていました。
朝里太平山とお小夜地蔵
朝里太平山碑は、定山渓温泉の開発功労者である美泉定山法印が揮毫し、古代文字で有名な手宮洞窟の発見者、石工長兵衛が彫ったものです。
その由来は、当時小樽内場所の朝里荒浜に住んでいた鍛冶屋の柴田長太郎が、郷里の秋田へ里帰りする妻子の無事帰着を祈願するため、秋田太平山三吉神社に参籠修行したことのある定山法印に頼んで、朝里川から出た大石の中央に「太平山」左右に「海上安全」、「漁業円満」と筆を入れてもらい、そしてその文字を刻んだのが神威古丹の福田藤右衛門方に寄宿していた石工長兵衛であり、慶応三年(一八六七年)五月十七日に鎮座祭がとり行われました。また、朝里川左岸の河口から約二五○メートル程の所に奥宮があります。
お小夜地蔵は、高島町の弁天島と張碓町の恵比寿島に深い関わりのある悲しい恋物語りに由来し高島領の漁場請負人西川伝右衛門の一人娘お小夜が恋心を抱いたが、小樽内領朝里の頭取五十嵐清蔵の長男清吉に恋心を抱いたが、清吉には野村およしという許嫁がいたのでお小夜の恋は片思いに終わり、悲しみのあまり海に身を投じたのです。文久三年(一八六三年)五月病死した清吉とお小夜を憐れんだ定山法印が二体の地蔵を彫って二人を弔ったのです。
お小夜地蔵は、五十嵐清蔵の祖先の墓石の傍に並んで朝里山の上(現在の朝里二丁目)の畔道に立っていたものですが、一度行方不明になっていた清吉地蔵とともに現在地に移され、太平山碑と合わせて荒波に住む人達によって手厚くお祀りされているのです。
平成十七年八月二十八日
朝里郷土史家 小林 廣 著
「朝里太平山由来記」「恋の弁天島」による
廣四男 小林定典 記
上記のように書かれていました。
鈴を鳴らし二拝二拍手一拝をしてお参りしてきました。
国道5号線にかかる朝里橋から見た太平山神社、中央よりやや右上に写っている建物が太平山神社です。
すぐ前が海と線路になっていることがわかります。
朝里川河口から小樽の海を望む
太平山神社の前の朝里川に降りて河口に出てみました。
途中、線路の下をくぐります。
小樽の市街地方面の景色
朝里駅方面の景色
小樽市街地方面の先、祝津方面まで見渡せます。
無人の神社なので御朱印はありませんが、小樽の美しい海を見ながら参拝されてみてはいかがでしょうか?
以上、小樽・朝里の海を見ながら秋の太平山神社に参拝してきたという参拝レポートでした。
- 住所:〒047-0151 北海道小樽市朝里1丁目1
- TEL:なし
- 御朱印:なし
- 参拝可能時間:参拝だけなら24時間
- 社務所受付時間:社務所なし
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